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    松坂大輔の思いやりが光る!上重聡に送られたLINEの中身とは


    松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日 - )は、東京都江東区出身(出生地は青森県青森市)の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者・野球評論家・YouTuber。愛称は「平成の怪物」。 横浜高校時代はエースとして1998年春・夏の甲子園連覇を達成し、同年のドラフト会議で西武ライ…
    162キロバイト (21,146 語) - 2024年4月6日 (土) 22:32


    上重聡の新たな挑戦を応援したいですね。松坂大輔の応援メッセージ、きっと聡さんの力になるでしょう。

    元プロ野球選手で野球解説者の松坂大輔氏が1日、YouTubeチャンネル『松坂大輔 official YouTube』で公開された動画「【赤裸々】『あの番組に出たい』上重の野望! 横浜vs PL学園甲子園延長17回を投げ合った盟友! 松坂大輔に明かす上重聡フリー転向の真相【上重聡コラボ(1)】」に出演。上重聡のフリー転身に際し、送ったというLINEの内容について語った。

    ○上重氏のフリー転身を知ったときに感じたこと

    同チャンネルでは今回、1998年夏の甲子園準々決勝で松坂氏と投げあったことで知られる、元日本テレビの上重がゲストとして登場。今年4月からフリーアナウンサー、タレントとして活動を始めたばかりだが、松坂氏には昨年11月頃に報告していたそうで、松坂氏は「教えてもらった時は、驚きというよりは、その日が(来たか)というか、その決断をする時が来たんだなって思いましたけどね」と、当時の率直な感想を打ち明ける。

    すると、上重が「覚えてますよ、LINE」と、松坂氏からLINEをもらっていたことを告白。松坂氏が「なんでしたっけ?」と首をかしげると、上重は「まさにその『ついに決断する時が来たんだね』と。『聡だったら、新たな世界というところに挑戦しても大丈夫だから』っていうような、背中を押してくれるようなメッセージだったので。その言葉は自分にとっては(大きかった)」と振り返る。

    さらに、上重は「正直、不安な思いもたくさんあるなかで、こうやって背中を押してくれる仲間というか、友だち・親友がいるのは心強かったですし、『よしっ』っていう思いになりましたね。だから、ありがとうございます」と、松坂氏に改めて感謝の気持ちを伝えていた。

    【編集部MEMO】
    横浜高校のエースとして春・夏の甲子園連覇を達成し、プロ入り後は西武ライオンズやボストン・レッドソックスなどで活躍した松坂大輔氏。現役引退後は、テレビ朝日系報道番組『報道ステーション』のスポーツコーナーでキャスターを務めるなど、野球解説者として活躍している。

    画像提供:マイナビニュース


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    アディダスがサッカースター、ラーズ・ヌートバー選手とのパートナーシップ契約を発表!


    ラーズ・テイラー=タツジ・ヌートバー(Lars Taylor-Tatsuji Nootbaar、日本名:榎田 達治〈えのきだ たつじ〉、1997年9月8日 - )は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡エルセグンド(英語版)出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。MLBのセントルイス・カージナルス所属。…
    47キロバイト (5,470 語) - 2024年4月7日 (日) 02:15


    「ラーズ・ヌートバー選手とアディダスがパートナーシップ契約を結んだのは素晴らしいニュースだ!これから彼の活躍がさらに楽しみになりますね!」

     アディダス ジャパン株式会社(本社:東京都港区、代表取締役:小佐妻 綾子)は、日本とアメリカにルーツを持ち、現在はアメリカのセントルイスを拠点に活躍するプロ野球選手、ラーズ・ヌートバー選手とのパートナーシップ契約を締結したことを発表いたします。ラーズ・ヌートバー選手は、現在実施中のアディダスのブランドキャンペーンへの参加を皮切りに、今後アディダスが実施する様々な活動へ携わっていきます。

    https://shop.adidas.jp/yougotthis/


     2023年に、日系アメリカ人として初めて野球日本代表に選出され、世界一に向けた躍進の原動力となったヌートバー選手。走攻守において積極的なプレーで日本代表の勝利に貢献するだけでなく、誰よりも熱くチームメイトを鼓舞し、応援するポジティブな姿勢にも大きな注目が集まりました。ヌートバー選手の活躍は、日本中のスポーツファンに、野球の楽しさを思い出させてくれるものでした。また同時に、多様なバッググラウンドをもつプレーヤーが、お互いの違いを超えてひとつになる時にこそチームはもっと強くなれるという、スポーツの可能性を改めて日本から世界へと発信しました。


     この度の契約締結に合わせ、ラーズ・ヌートバー選手が出演するソーシャルフィルムを、4月9日(火)よりアディダス ジャパン公式SNSアカウント等にて公開いたします。日々、プロアスリートとしての重圧と向き合いながらも、野球への情熱と自然体の笑顔でプレッシャーを力に変えていくヌートバー選手。「You Got This(大丈夫、いける。)」というメッセージのもと、アディダスはヌートバー選手とともに、あらゆるレベルのアスリートが自分の可能性を押し広げる挑戦を応援していきます。


    【アディダス ジャパン 公式SNSアカウント】Instagram: @adidastokyo / X(旧Twitter): @adidasJP


     幼い頃から大好きなブランドであるアディダスとパートナーシップを結ぶこととなり、とても感激しています。アディダスは、パフォーマンスウェアから普段着まで、僕自身がアスリートとして目指すスタイルそのものを表現したブランドです。「You Got This(大丈夫、いける。)」というメッセージに込められた、自分の可能性を信じることの大切さにも、強く共感しました。今後アディダスアスリートとして、試合の時はもちろん、オフの時でも常にアスリートらしい行動を心掛け、そして野球選手として更なる高みを目指したいと思います。


    ■アディダス ジャパン マーケティング事業本部 副社長 マギー・ユー(Maggie Yu)

     スポーツに大きな注目が集まる一年となる2024年に、ヌートバー選手をアディダスファミリーに迎え入れることを本当に嬉しく思います。ヌートバー選手の存在は、これから本格的に競技を目指す若い世代へのインスピレーションとなるでしょう。彼は強さ、多才さ、協調性を兼ね備えた本当に素晴らしいアスリートです。昨年、彼は素晴らしいプレーと前向きな姿勢、そして朗らかな人柄で日本代表をひとつにし、世界一へと昇りつめる原動力となりました。私たちは、新たなシーズンへと向かうヌートバー選手をサポート出来ることを楽しみにしています。


     1997年9月8日生まれ。米カリフォルニア州出身、米MLBセントルイス・カージナルス所属プロ野球選手。アメリカ人の父と日本人の母のもとに生まれ育ち、「タツジ」というミドルネームを持つ。幼い頃より野球を始め、2018年のドラフトにて米MLB入りを果たす。マイナーリーグでの活動を経て、2021年メジャーデビュー。2023年、日系アメリカ人選手として初めて野球日本代表に選出され、日本にとって14年ぶりの世界一に貢献した。


    (C)2024 adidas Japan K.K. adidas and the 3-Bar Logo, and the 3-Stripes mark are registered trademarks of adidas.

    配信元企業:アディダス ジャパン株式会社

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    (出典 news.nicovideo.jp)

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    マック鈴木がNPBを経由せずにMLBプレーヤーになる方法とは?


    マック鈴木( - すずき、本名:鈴木 誠(すずき まこと)、1975年5月31日 - )は、日本出身の元野球選手(投手)、元監督、野球解説者。 妻はお笑いコンビ・クワバタオハラの小原正子。 愛称の「マック」の由来は、本名の「誠」がアメリカ人には発音しづらいため、マイナー時代に周囲が「マック」と呼びはじめたからだと自著に記している。…
    24キロバイト (2,443 語) - 2024年2月25日 (日) 06:35


    これまでの常識を覆すような大記録を打ち立てたマック鈴木選手は本当に驚異的ですね。日本人選手として初めてNPBを経由せずにMLBに進出したことは、多くの日本の野球ファンにとっても誇りです。

     1992年、野茂英雄がメジャーで活躍する前のことだ。高校中退直後の16歳の少年が単身で渡米した。やがて鈴木誠少年は多くの艱難辛苦を経験し、「マック鈴木」となる。

     しかし、マックは野球をするためにアメリカ行きを決意したわけではなかった。息子の将来を心配した父親が「環境を変えてやり直せ」と命じたことで、彼の運命の歯車が大きく回りだすことになった。「NPBを経由していない初めての日本人メジャーリーガー」の野球人生に迫る。

    ◆街でのケンカがきっかけで滝川第二高を自主退学

     高校野球の名門、滝川第二高1年の冬、街でのケンカがきっかけだった。5歳の頃から空手を始め、中学時代には有段者となっていた。事態は立件寸前まで進み、自主退学を選択。プロ野球選手として将来を嘱望されていた鈴木の運命は、このとき大きく動きだした。

    「環境が変われば人間が変わるじゃないですか。それで、父から『アメリカに行ってやり直せ!』と命じられ、中学時代に所属していた神戸須磨クラブの監督のつてで団野村さんを紹介してもらいました」

     当時、団はアメリカのマイナーリーグ1Aチーム「サリナス・スパーズ」のオーナーを務めつつ、ヤクルトの監督であり、父でもある野村克也が作った少年野球チーム「港東ムース」の監督でもあった。団のもとで、選手の世話や球場周辺の雑用をこなす洗濯係として暮らすことになった。1992年春、彼はまだ16歳だった。

    「売店でホットドッグやコーラを売ったり、選手たちのユニフォームを洗濯したり、完全な雑用係です。野球をやるつもりはなかったからグラブも日本に置いて渡米しました」

    ◆アメリカで野球への思いが再燃

     日々の生活は多忙を極めた。英語もしゃべれず、ストレスは溜まっていく一方だったが、月給わずか300ドルでがむしゃらに働き続けた。

    「高校を自主退学した時点で野球をするつもりはなかったんですけど、少しずつアメリカの生活に慣れてくると、目の前で行われている試合を見るようになりました。サリナスはすごく弱いチームで、当時は、こんなに下手でも試合に出られるんやな……と感じながら見ていました」

     野球への思いが再燃してくるのが自分でもわかった。そんなころ、メジャー経験のある黒人選手が練習パートナーを買って出てくれた。しばらくは日々の仕事に追われながら、練習を続ける生活が続いた。

    「一日の8割が仕事で、残り2割がトレーニング。大変だったけど、初めて夢中になるものを見つけた思いでしたね」

     そして、朗報が届く。

    「ぶっちぎりの最下位で迎えたその年の最終戦で、団さんから『鈴木、お前投げてみるか?』と、いきなり言われました。たった1イニングだけの登板だったけど、一度手放した《野球》を、再び自分の手に取り戻すことができたのが自分でもわかりました」

     17歳になった鈴木の胸の内に「もう一度野球がしたい」、「自分の可能性を試してみたい」という思いが芽生える。メジャーリーガー「マック鈴木」の誕生が近づきつつあった。

    ◆ヤクルトのユマキャンプで芽生えた思い

     1993年には、団の力添えにより、野村克也が監督を務めるヤクルトのユマキャンプに参加することになった。

    「川崎憲次郎さん、伊藤智仁さん、そして石井一久さん、彼らのボールはすごかった。このとき、プロってすごいな、自分ももっと練習しなければ、という思いになりました」

     このとき、池山隆寛や広沢克己(のち廣澤克実)ら、当時の主力打者を相手に紅白戦で登板するという話が持ち上がったが、「野球協約に抵触する恐れ」があり、「もしも抑えられたらプロの面目が立たない」との理由で実現しなかった。

    「仮に打たれたとしても、抑えたとしても、絶対に後にいい思い出話として盛り上がったでしょうね。あのときは肩も壊れていなかったから、投げていればどんな結果になったのか楽しみでしたけどね」

    ◆メジャーキャンプ初日の悲劇

     1993年9月、彼はシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ。トロント・ブルージェイズやアトランタ・ブレーブスからもオファーがあった。マックの底知れぬ能力はメジャースカウト陣にとっても大きな魅力となっていた。

     しかし、満を持して挑んだ1994年スプリングキャンプ初日、「事件」が起こった。

     日本のプロ野球を経験しない初めてのメジャーリーガーとなる可能性を秘めた18歳の若者。その動向に密着するために、日本から100人以上のマスコミが大挙していた。満足な自主トレが行えず、コンディションに不安の残るなかマックはブルペンに入った。

    「いきなり、当時のマリナーズのエース、ランディ・ジョンソンと一緒のA班でブルペン入りしました。最初は、軽く投げればいいか、と考えていたのに、つい思い切り投げたら、肩を壊してしまって……」

     周囲の注目が集まる中で、18歳の少年は右肩に起きた異変を誰にも打ち明けることができなかった。だましだまし投げていたものの、5月にはまったく投球できなくなり、その年のオフに内視鏡手術を受けることになってしまった。

    「今から思えば誤ったトレーニングで可動域が狭くなり、頭でイメージすることと、実際の動きとのズレが生まれたまま投げたのが原因でした。この日以来、引退するまでずっと右肩が万全の状態に戻ることはありませんでした」

    ◆マイケル・ジョーダンとの邂逅

     このころマックは、NBAの生きる伝説であり、神様でもあり、当時は2AでMLB挑戦中のマイケル・ジョーダンとの邂逅を果たしている。

     ある日の試合において、乱闘騒動が起きた。相手ベンチにいたジョーダンがマウンド上のピッチャー目がけて、真っ先に飛び出してきた。

    「もちろん僕も、味方ピッチャーを助けるためにベンチから飛び出しました。すると、ジョーダンがマウンドで勝手にコケてしまったんです(笑)」

     初めは何が起きたのかわからなかったが、そのシーンをたまたま撮影していたテレビクルーの映像によって事態の詳細が明らかになった。

    「転んだところにちょうど僕のヒザがあって、ジョーダンはアゴを痛打していました。僕としては蹴ろうとしたわけでもないし、何が何だかよくわからない状態。乱闘後、何かヒザが痛いな、って思っていたぐらいですから(笑)」

    ◆アメリカに渡って4年11か月、ついにメジャーのマウンドに

     1995年、全米ではメジャー1年目の野茂英雄による「NOMOフィーバー」が沸き起こっていた。忸怩たる思いで臨んだ内視鏡手術、そしてリハビリプログラムは1年に及び、ついにシーズン終盤に1Aで復帰を果たす。肩の痛みは軽減され、球速は取り戻しつつあったものの、どうもしっくりこない。

     今の自分は本当の自分じゃない。本当の自分はもっとすごいボールを投げていたのに。そんな思いが彼の胸の内を支配していく。それでも。

    「1996年は2Aでシーズンを迎えました。本来の調子には戻っていなかったけど、先発で起用されてシーズン序盤で3勝を挙げました」

     7月に入ると、当人もまったく予期せぬ朗報が届いた。3Aを飛ばして、いきなりメジャー昇格を命じられたのだ。7月7日、テキサス・レンジャーズ戦、21歳の夏だった。

    「2Aからいきなりメジャーでしたから、自分でも驚きました。でも、このときのことは何も覚えていません。やっぱり緊張していたんでしょうね」

     アメリカに渡って4年11か月、ついにメジャーのマウンドに上がったのだ──。

    【マック鈴木】
    1975年、兵庫県生まれ。1992年に渡米、1Aサリナスで球団職員。1993年9月、マリナーズと契約。1996年メジャー初登板。1999年、ロイヤルズ、’01年、ロッキーズ→ブルワーズ→ロイヤルズ。’02年、オリックスにドラフトで入団

    撮影/ヤナガワゴーッ! 写真/時事通信社

    【長谷川晶一】
    1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

    ―[サムライの言球]―


    マック鈴木氏


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    仁志敏久が振り返る、苦手な投手との攻防戦の記憶


    仁志 敏久(にし としひさ、1971年10月4日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(内野手・右投右打)、体育学者。学位は体育学修士(筑波大学大学院・2016年)。江戸川大学客員教授。 常総学院高等学校では1年生からレギュラーを務め、エースの島田直也と共に活躍した。全国高等学校野球選手権大…
    39キロバイト (4,455 語) - 2024年3月8日 (金) 01:03


    そういえば、プロ野球選手って普通の人よりも格段にレベルが高いから、自分が苦手だと感じる選手も当然いるんだろうなぁ。

    元プロ野球選手の仁志敏久氏が18日、YouTubeチャンネル『ダグアウト!!!』で公開された動画「【爆笑】落合博満さんとのマル秘エピソード!」に出演。現役時代に“苦手だった”投手を明かした。

    ○対戦してワクワクした選手も

    ゲストの球界相関図を作成していく企画にて、「対戦してワクワクした選手」を聞かれた仁志氏。「自分と相性のいいピッチャーが出てくるときは、よっしゃ! と思いますね」といい、「当時、カープの山内(泰幸)くん、澤崎(俊和)くんは相性が良かった。ワクワクと言うと、ちょっと失礼ですけど(笑)、よっしゃ! と思います」と振り返った。

    続いて、ビビる大木が「逆に、苦手に思っちゃうピッチャーもいたんですか?」と尋ねると、仁志氏は「それはいました。当時、川崎(憲次郎)さんが全然打てなかったんですよ。シュートばっかり投げてくる」と告白。また、「ヤクルト戦があまり打てなかった。大学の時からやってるんですけど、神宮球場の打席に立ったときの景色があんまり好きじゃない」そうで、「バックスクリーンの上にも看板があるじゃないですか。球種によって、ボールと看板が被ることがある。なんとなくそれが気になっちゃうんですよ」とも明かした。

    さらに、「デイゲームの時はそんなに感じないんですけど、ナイターになると感じる」と話す仁志氏に対し、大木が「繊細ですね」と伝えると、仁志氏は「打てなかったから、そういう言い訳をしてるんですよ」と自己分析して、笑いを誘っていた。

    【編集部MEMO】
    『ダグアウト!!!』(BSJapanext 毎週火曜22:00〜)は、プロ野球選手・OBたちが「ダグアウト」(試合中に監督や選手が待機するベンチ)で話すような球界のアレコレを語る野球トークバラエティ番組。自分が一緒にプレーしたい選手を選ぶ「俺のベスト9」、子どもたちからの野球に関するさまざまな質問にゲストが直球で答えていくコーナー「教えて! 野Q塾」など、野球好きにはたまらない企画が見どころ。番組MCを上田まりえ、スピードワゴン・小沢一敬、ビビる大木らが務め、初回ゲストには上田がアシスタントとして出演するYouTubeチャンネル『上原浩治の雑談魂 』も注目を集めている球界のレジェンド、上原浩治氏が登場した。

    画像提供:マイナビニュース


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    阪神タイガース、夜の激烈接待漬けで注目のスキャンダル再燃!


    阪急阪神東宝グループ > 阪急阪神ホールディングス > 阪神電気鉄道 > 阪神タイガース ポータル 野球 阪神タイガース(はんしんタイガース、英: Hanshin Tigers)は、日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。本拠地は兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場。…
    288キロバイト (44,121 語) - 2024年3月7日 (木) 07:34


    またかよ…阪神の選手たち、やっぱり反省の色が薄いんだな。

     新型コロナウイルスにより抑制されていた食事や飲みといった社交の場が戻った今、野球選手やサッカー選手が試合遠征先やキャンプ合宿などでの息抜きの幅が広がってきている。

     例えば1、2月は宮崎や沖縄などのキャンプ地で過ごすことが多いプロ野球選手やJリーガーの、夜遊びの姿が目撃されているのだが、

    「アテンダーと呼ばれる仲介人が幅を利かせて女性を集め、選手に飲みの場を提供する場面が増えました。メディア関係者がアテンダーとなってコンパを開くことも多々あります。昨今は女性の社会進出により、女性ディレクターや女性ライターが増えていますが、会を開くだけでなく、自らがアテンダー兼コンパニオンとなるケースも見られます」(スポーツジャーナリスト)

     関西ではテレビ局、スポンサーによる選手接待も激増している。

    「激烈なのは阪神タイガースですね。選手の囲い込みがすさまじく、ご飯からゴルフ、夜のお店まで招待して、接待漬けにしようとしています。コロナによって夜の活動が少なかったことで2023年は優勝はできたとも言われていますが、接待攻勢が盛んになってきた今年は連覇どころか、ちょっと気を抜けば再び低迷期に入る危険性すらあります」(在阪メディア関係者)

     思い起こせば2017年、メディア関係者を交えてカラオケを楽しみ、当時のキャンプ宿舎「沖縄残波岬ロイヤルホテル」に女性をお持ち帰りした福留孝介が週刊誌にその様子をキャッチされ、醜態をさらすことになった。

     また同年にはメディア関係者と阪神の若手選手がセクハラ合コンに興じ、その内情を告発されている。

     タガが外れた選手たちの様々なスキャンダルが、またしても噴出することになるか――。

    (田中実)

    アサ芸プラス


    (出典 news.nicovideo.jp)

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