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    柔術世界一・ガリットチュウ福島が“レジェンド格闘家”と再会!


    福島 善成(ふくしま よしなり、1977年(昭和52年)10月6日 - )は、日本お笑いタレントであり、お笑いコンビガリットチュウのボケ担当。相方は熊谷茶。身長180cm、体重83kg。熊本県天草市出身。吉本興業所属。 1998年に熊谷岳大(現芸名:熊谷茶)と『ガリットチュウ』を結成。…
    14キロバイト (1,621 語) - 2023年12月29日 (金) 06:51


    ガリットチュウ福島さんの柔術の技術は本当に素晴らしいですね。再会した際にどんな対戦が見られるのか楽しみです!

     昨年、柔術の世界大会で優勝したお笑いコンビ・ガリットチュウの福島善成が24日、自身のインスタグラムを更新し、日本の格闘技界のレジェンドとの再会を報告。「爆裂テンションあがるー!」と喜んでいる。

    【写真】ガリットチュウ福島、“人生を変えた”レジェンドレスラーと2ショット

     昨年、福島は米ラスベガスで開催中の世界大会『ワールドマスター柔術選手権』の「マスター4青帯ライト級」で優勝し、話題となった。この日は、「大好きな格闘家である桜庭和志選手と久しぶりお会いしました!」「爆裂テンションあがるー!」とつづりながら、総合格闘家、プロレスラーの桜庭和志とのファイティングポーズで収まる2ショットを公開している。

     桜庭を「私の人生を変えた方!」と評する福島。以前、エキシビションマッチで桜庭に惨敗。そのことが悔しく、その年に道場に入会し、本格的なトレーニングを開始し、昨年優勝したという。つまり、桜庭は福島世界一の立役者なのだ。福島は「桜庭和志選手!あの時にボコボコにしていただき本当にありがとうございました!」と感謝している。

     一方、桜庭も自身のアカウントを更新し、福島との2ショットを公開。「今日、打ち合わせに行ったら、なんと金髪のチャンピオンがいました!ケガに気をつけて頑張ってください」とエールを送っている。

    引用:
    「福島善成(ガリットチュウ)」インスタグラム(@fukushimayoshinari) 
    「桜庭和志」インスタグラム(@saku39ks)

    ガリットチュウ・福島善成  クランクイン!


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    藤原喜明&佐山聡、猪木さんの教えを語る!プロレス練習の厳しさとは?


    藤原 喜明(ふじわら よしあき、1949年4月27日 - )は、日本の男性プロレスラー。岩手県江釣子村(のちの北上市)出身。血液型A型。プロレスラー以外に俳優、・タレント・イラストレーター・陶芸家・エッセイストとして活躍している。関節技の鬼という異名をとり藤原組長の愛称で親しまれている。…
    41キロバイト (5,650 語) - 2024年3月23日 (土) 23:22


    「プロレス界って厳しいイメージがあるけど、こういう先輩が後輩を大事にする姿を聞くと、心温まりますね」

     2022年10月に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんの「最も信頼した弟子」として知られるプロレスラーの藤原喜明。猪木さんの死以降、口を閉ざし続けてきた藤原の独白をまとめた『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』(宝島社)には、猪木さんとの秘話と愛憎のすべてがまとめられている。新日プロ草創期、異種格闘技戦、UWFと新日への出戻り、引退、そして死に秘められた真実までをつづった同書から、佐山聡との対談シーンを一部抜粋して紹介する。

    【貴重写真】がっちり握手で笑顔の藤原喜明と佐山聡

     アントニオ猪木は生前、藤原喜明を「一番弟子」と語り、佐山聡のことは晩年「後継者を誰にするか考えたことはなかったが、唯一、タイガーマスクだけはそういう存在になってくれると期待した」と語っている。ともに付き人時代は「猪木のためなら死ねる」という気持ちを持っていたという2人に、あらためて若手時代の新日本プロレスの思い出と、師である猪木への想いを語ってもらった。

    ■「友達のようにしゃべってくれた猪木さん」

    【藤原】佐山、久しぶりだな~!

    【佐山】おとうさん、久しぶり。(ガッチリと握手を交わして抱擁)

    【藤原】体調よさそうで安心したよ。

    【佐山】昨日はあまりよくなくて目が回ってたんで、今日でよかった。

    【藤原】プロレスラーは試合とか取材とかな、人前に出るとシャキッとするもんなんだよ。今日は久しぶりに佐山と話ができてうれしいから、ビール飲みながらしゃべるぞ。

    【佐山】そうだ。お酒飲んじゃうんだ。危ないぞ~、今日は(笑)。

    【藤原】危なくねえよ。さっき、佐山が来るのを待ってる間にウィスキーをちょっと飲んだだけだから(笑)。

    【佐山】もう飲んでるの? 危ないな~。昔からそうだから。

    ──新日本の合宿所とか、巡業先の旅館でもガンガン飲んでましたか(笑)。

    【佐山】どこでもですよ。

    【藤原】でも、俺らの時代は、たとえ酒の席でも先輩後輩で理不尽な命令とかなかったよな?

    【佐山】理不尽なのはなかったね。道場で山本(小鉄)さんの練習で理不尽なのはあっても。

    【藤原】要するに、俺らの時代は練習は厳しかったけど、先輩が後輩をイジメるようなことはなかったんだよ。俺らよりずっと下の世代は、そういうのがあったらしいけどな。

    ──藤原さんたちがUWFで抜けて以降とか、90年代なんかはそういう話を聞きますけどね。やはり先輩が理不尽に威張ったりしないというのは、猪木さんの考えが反映されていたんですかね。

    【藤原】そうかもしれないな。猪木さん自身、威張ることはなかったし、変な命令もしなかった。

    【佐山】しっかり練習して、いい試合をしていれば何も言われなかったよね。猪木さんに怒られた記憶もあまりないから。

    【藤原】コイツなんか、俺が「失礼します!」って猪木さんの部屋に入った時、寝そべりながら「だからさあ」とか、猪木さんと親しそうに話をしてるんだよ。あの時は「コイツ、猪木さんにこんな態度で……」って思ったけどな。

    【佐山】ウソウソ。「だからさあ」なんて言うわけないじゃん(笑)。

    【藤原】まあ、ちょっと大げさかもしれねえけど(笑)。付き人のくせに友達同士みたいな態度だなって思った記憶はあるよ。

    ── 佐山さんも以前、「猪木さんが自分の位置まで降りてきて、友達のようにしゃべってくれた」とおっしゃってましたよね。

    【佐山】それぐらい、かわいがってもらいましたね。ありがたいです。

    【藤原】やっぱり力道山先生に毎日殴られたりしてたのが反面教師になってるんだろうな。俺から見て、猪木さんからいちばんかわいがられてたのは、佐山と荒川さんだな。

    【佐山】その代わりキッチリやってたからね。練習も靴磨きも掃除も洗濯も。いい青春時代でしたよ。

    ■藤原喜明(ふじわら・よしあき) プロフィール
    1949年、岩手県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“関節技の鬼”と呼ばれる。84年に“テロリスト”としてブレイク。同年7月に第一次UWFに移籍し、スーパー・タイガー(佐山聡)や前田日明らとUWFスタイルのプロレスをつくり上げる。その後、新生UWFを経て、91年に藤原組を設立。藤原組解散後はフリーランスとして新日本を中心に多団体に参戦。2007年に胃がんの手術をして、今も現役レスラーとして活躍中。

    笑顔で佐山聡と対談する藤原喜明(『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』宝島社刊より)


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    伝説のプロレスラー、アントニオ猪木さんが安らかに眠る


    アントニオ猪木アントニオいのき、本名:猪木 完至〈いのき かんじ〉、1943年〈昭和18年〉2月20日 - 2022年〈令和4年〉10月1日)は、日本の男性プロレスラー、実業家、政治家。位階は従四位。 神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」。…
    265キロバイト (32,850 語) - 2024年3月11日 (月) 15:51


    二人とも偉大な人物だったので、心からご冥福をお祈りします。

     2022年10月に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんの「最も信頼した弟子」として知られるプロレスラーの藤原喜明。猪木さんの死以降、口を閉ざし続けてきた藤原の独白をまとめた『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』(宝島社)には、猪木さんとの秘話と愛憎のすべてがまとめられている。新日プロ草創期、異種格闘技戦、UWFと新日への出戻り、引退、そして死に秘められた真実までをつづった同書から、猪木さんの訃報を受けた当時の心境について語った内容を、一部抜粋して紹介する。

    【動画】藤原喜明の茶目っ気タップリな【アントニオ猪木エピソード】酔った勢いで「アントン」呼びしてみた!

    ■「事実を受け止めるだけでいっぱいいっぱい」

     藤原喜明は、1970年代、全盛期のアントニオ猪木の付き人として常にピッタリと脇につき、危険を伴うような海外遠征に帯同。スパーリングパートナーも務め、晩年はプライベートでも親交を深め、最後の最後まで猪木の最も近くにいたプロレスラーだった。

     猪木が亡くなった2022年10月1日以降、藤原の初めての試合は同年10月10日に後楽園ホールで行われた「日本プロレス殿堂会」の主催興業『LEGACY II』だった。多くの関係者が追悼コメントを出すなか、この大会で藤原は猪木の死についてノーコメントを通した。そのため、プロレスファンや業界内で「藤原はコメントも出せないほど落ち込んでいる」と心配する声が広まった。

    (以下、藤原喜明の独白)
     10月10日の後楽園ホールの大会には、俺は試合をしに行ってるわけだから、わざとらしく猪木さんのことをしゃべりたくねえよって。しゃべってた人もいるけど、俺は心で思っていれば、べつに人に言うことじゃねえって考えだから。10月1日に亡くなって、ショックは受けていたけど、わざわざ「マスコミに向けてコメント出さなきゃ」なんて考えない。

     猪木さんが亡くなったのは土曜日だったから、週が明けたあと、事務所の人間に言われて、「残念です。たくさんのいい思い出をありがとうございました」って、ホームページで載せた。あんまりペラペラしゃべりたくなかった。言葉に出すと軽くなってしまうというか、こっちも事実を受け止めるだけでいっぱいいっぱいだったからな。

     訃報を知ったのは、朝8時ちょっとすぎに電話をもらってね。「亡くなりました」って。あー、来るべきものが来たなと思った。

     猪木さんは闘病生活を公開していたこともあって、心の準備みたいなものはある程度できていたけど、いざその日を迎えるとな。うーん……でも、考えようによっちゃあ、ラクになったというかな。病床でかなりつらそうだった姿も知っていたから、亡くなる前の1~2年間は、電話がチリンチリンって鳴るたびに、その報(しら)せじゃないかとドキッとはしてたけどな。病に冒されてる箇所が心臓だからな。

     今から3年ぐらい前かな。猪木さんから「俺はアミロイドーシスっていう難病なんだよ」って聞かされて。これは人に言っちゃまずいんだろうなって思って黙ってた。そしたら、わりと早い段階で公表してたから、言ってもいいのかと。当時、猪木さんは77歳だったんだけど、「身内で77歳以上生きたのは一人もいねえんだよ」って言われて。でも、猪木さんは79歳まで生きたから、身内では一番の長生きだった。「難病だから身内はみんな(自分がアミロイドーシスに罹かかっていると)気づかないうちに逝ってたのかなあ?」みたいなことを猪木さんは言ってた。

     結局、死因は「アミロイドーシス」じゃなくて、どこかの臓器不全ってことなんだけど、アミロイドーシスってなんだろうと思って調べたんだ。そしたらタンパク質がいろんな臓器に付いて機能障害を起こす病気で、猪木さんは心臓に付いてたんだな。最後は心臓の機能が20%ぐらいしか働いてなかったという報道もあったよな。

    ■藤原喜明(ふじわら・よしあき) プロフィール
    1949年、岩手県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“関節技の鬼”と呼ばれる。84年に“テロリスト”としてブレイク。同年7月に第一次UWFに移籍し、スーパー・タイガー(佐山聡)や前田日明らとUWFスタイルのプロレスをつくり上げる。その後、新生UWFを経て、91年に藤原組を設立。藤原組解散後はフリーランスとして新日本を中心に多団体に参戦。2007年に胃がんの手術をして、今も現役レスラーとして活躍中。

    笑顔で佐山聡と対談する藤原喜明(『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』宝島社刊より)


    (出典 news.nicovideo.jp)

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