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    K-1


    【衝撃】アンディ・フグ危篤声明の4時間前に語られた大問題発言とは?


    アンディフグ(Andy Hug、1964年9月7日 - 2000年8月24日)は、スイスの男性空手家、キックボクサー。チューリッヒ出身。K-1 GRAND PRIX '96王者。ドイツ語読みではアンドレーアス・フーク(Andreas Hug〔アンドレェアス:andréːas〕〔フゥク:húːk〕)の発音が近い。…
    35キロバイト (3,600 語) - 2024年5月8日 (水) 04:52


    信じられない…。まさかこんなことになるなんて。本当にショックです。

     突然降り出した雨が、まさに鉄人と呼ばれた男の無念さを物語っているようだった。

     2000年8月24日、格闘技イベント「K-1」黎明期からその人気を牽引してきた格闘家アンディ・フグが、急性前骨髄球性白血病により、入院先の日本医科大学付属病院で亡くなった。享年35。

     ヨーロッパの空手会では敵なしだったアンディはK-1参戦後、1996年に優勝。1997年、1998年には準優勝という強さを誇る。「ミスターK-1」と呼ばれ、人気を博した。

     そんなアンディが危篤状態にある、との発表が突如、正道会館東京本部で行われたのは、同日午後2時15分のことだった。そして、半信半疑で集まった記者たちの前で読み上げられたのは、アンディからのこんなメッセージだったのである。

    「ファンの皆さん、突然このような状態に私が陥ってしまったことで、大変ショックを与えたかと思います。私自身、ドクターから症状を聞いた時には非常にショックを受けました。しかし、私は今、自分が陥っている状況をファンの皆さんに告げることで、ファンの皆さんとともにこの病気と闘っていきたいと思います。今度の敵は私が闘った中でも一番の強敵です。しかし、私は勝ちます。ファンの皆さまの声援をパワーにして、リングと同じ時のように、最大の強敵に勝とうと思います。10月の大会は残念ながら出られませんが、日本でこの病気と闘い、いつの日にか必ず皆さんの前に現れたいと思います。頑張ります。押忍」

     まさに青天の霹靂。この「衝撃発言」に、報道陣からは驚きの声とどよめきが上がったことは言うまでもない。だが、47戦33勝、うち22回がKOというその強さに「鉄人」の異名を持つアンディだ。今度の強敵にも必ず打ち勝ってくれるはず、誰もがそう信じて疑わなかった。

     しかし、会見からわずか4時間後の午後6時21分。そんな願いが打ち砕かれてしまった。

     病院で再び会見に臨んだ石井館長によれば、臨終の間際も角田信朗らが「試合はまだ終わってないぞ! アンディ、ハンズアップ!(構えろ!)」と声をかけると、アンディは3度も心肺停止状態から回復。しかし、4回目にはついに力尽き、担当医師から「残念ですが、ドクターストップです。もう休ませてあげましょう」との言葉が。

     人工呼吸器が外され、最後は敗れてしまったものの、最後の最後までファイターとして懸命に闘い続けた。その姿はファンの心の中で、いつまでも消えることのない記憶として残っている。

     病名を聞いた時、「死ぬ時は日本で死にたい」と語ったという本人の希望で、葬儀は、麻布の善福寺で日本式により営まれ、8月27日の告別式には、関係者を含め1万2000人の一般ファンも参列した。35年という短い生涯。だが、アンディは間違いなく、最後までヒーローだったのである。

    (山川敦司)

    アサ芸プラス


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    ロブ・カーマンの拷問技に震える!帝王が角田信朗を葬った「顔面ヒザ落とし」の恐怖


    ドン中矢ニールセン(Don Nakaya Nielsen、1960年7月8日 - 2017年8月15日)は、アメリカ合衆国出身の日系人キックボクサー、俳優、カイロプラクター。1986年以降は日本のプロレスやキックボクシングのリングで活躍した。 1986年に初来日しプロレスラーとの異種格闘技戦で…
    20キロバイト (2,458 語) - 2024年1月18日 (木) 02:12


    ロブ・カーマンの残忍さに驚愕です。角田信朗さんがどんな罪を犯したのか気になります。

    2024年3月31日に63歳の若さで亡くなったロブ・カーマン。帝王の凄味はリングスでの角田信朗戦でも発揮された
    2024年3月31日に63歳の若さで亡くなったロブ・カーマン。帝王の凄味はリングスでの角田信朗戦でも発揮された

    【連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第26回 
    立ち技格闘技の雄、K-1。世界のMMA(総合格闘技)をリードするUFC。UWF系から本格的なMMAに発展したパンクラス。これらはすべて1993年にスタートした。後の爆発的なブームへとつながるこの時代、格闘技界では何が起きていたのか――。

    【写真】ロブ・カーマンが戦った「今世紀最大の激突」

    ■UWFとのクロスオーバー

    キックボクサーはキックボクシングをして闘う。そんな当たり前なことを日本格闘技界は許さなかった。1980年代後半から90年代にかけての話であるが、いったいなぜそんなことになったのか。それは格闘技系プロレス団体 UWFの出現によって、UWFと他の格闘技とのクロスオーバーが頻繁に起こるようになったからにほかならない。

    そのパイオニアは前回記した日系米国人キックボクサー、ドン・中矢・ニールセンだったと言っていい。ニールセンは86年10月9日、新日本プロレスのリングで前田日明と異種格闘技戦を行なった。続いて88年8月13日、オランダの空手家ジェラルド・ゴルドーがUWFの有明コロシアム大会で前田日明と異種格闘技戦を行ない、その後もプロレスと格闘技を行き来しながら知名度を高めていった。

    格闘技とプロレスの垣根などないに等しい時代だったのだ。そんな背景もあり、カーマン絡みの異種格闘技戦実現の機運は日増しに高まっていく。

    「もし前田日明とロブ・カーマンが闘ったら......」

    ルールなど二の次。プロレスファンは真剣にUWFのエースとキックボクシングの帝王の直接対決を空想し、夢とロマンを膨らませていった。

    K-1旗揚げ前年の92年8月には、前田日明が率いるリングスで佐竹雅昭との対戦も実現している
    K-1旗揚げ前年の92年8月には、前田日明が率いるリングスで佐竹雅昭との対戦も実現している

    一方、キック側にもプロレスと絡むメリットはあった。リアルとエンターテインメントという違いはあるにせよ、UWFと絡めばその人気に便乗することができると考えたのだ。80年代半ばから筆者は後楽園ホールでキックを生観戦するようになっていたが、会場の雰囲気はまだ70年代の〝怖い世界〟というネガティブなイメージを引きずっており、その筋絡みのケンカが起こることも珍しくなかった。

    89年10月21日、全日本キックの後楽園ホール大会でロブ・カーマンとサムソン〝サイクロン〟ネグロの異種格闘技戦が実現したのは時代の流れだったとしかいいようがない。全日本キック、いや日本キックボクシング界にとっても、これが初めての異種格闘技戦だった。約1ヵ月後の11月29日には後楽園ホールの隣の東京ドームでUWFがビッグマッチ『U-COSMOS』を行なう流れに連動させたいという思惑もあった。

    もっとも、カーマンにとってはこれが初めての異種格闘技戦への挑戦というわけではなく、その1年半前には東京で幻の異種格闘技戦が組まれていた。88年4月2日、両国国技館で行なわれた梶原一騎追悼記念興行『88格闘技の祭典』におけるタイ在住のイラン人ファイター、イサマル・チャンガニーとの一戦がそれだ。

    異種格闘技戦と銘打っていたとはいえ、チャンガニーはキックボクサーだったので、実施されていれば普通のキックルールで行なわれていたであろう。

    この大会の主催は、カーマンが主戦場とする全日本キックのライバル団体であるMA日本キックボクシング連盟だったが、ブッカーをオランダキック界の父・黒崎健時がやっていた関係で、超法規的措置としてカーマンの起用が許されたのかもしれない。しかしながら、この一戦はカーマンが前戦で脚部を負傷したため出場をキャンセル。急遽、藤原喜明が代役としてリングに上がりチャンガニーと引き分けた。

    ■目を覆いたくなった異種格闘技戦

    そこで、カーマンにとって正真正銘初めての異種格闘技戦の対戦相手となったネグロは、かつて日本プロレスや全日本プロレスに頻繁に来日した〝受け身の達人〟サイクロン・ネグロ(覆面レスラーのカリプス・ハリケーンにも変身)とは同名異人。当初発表の写真をみると、新日本プロレスや旧UWFに来日経験のある、ヨーロッパを主戦場としていたカズウェル・マーティンであることがわかる。

    当初は世界の力自慢たちを集めた「ストロンゲストマン・コンテスト」の常連だったジェフ・ケープスとの一戦が企画されていたという話もある。ケープスはかつてオランダで〝オランダのサンボ王〟クリス・ドールマンとジャケット着用による組み技・関節技・絞め技のみのフリーファイトで闘ったことがある。

    しかし、ケープスの体格はスーパーヘビー級だった。そこで体格は合わせたほうがいいということになり、カーマンと背格好がさして変わらないマーティンに変更になったのではないか。

    当時の東京スポーツにはカーマンとマーティンが並んで収まっている調印式らしき写真も掲載されている。しかしながら決戦当日、リングに上がってきたのは同じ黒人レスラーでも、マーティンとは似ても似つかぬ別のレスラーだった。この一戦の試合リポートを筆者は『格闘技通信』No.38に書いているので、一部引用する。

    〈カーマンが射程距離に入るのをなんとか防ごうとステップバックしながら、リングをグルグルと回るがガードが甘い。カーマンはいともたやすくネグロの懐に入り、ボディブローを見舞った。ガクッとネグロの動きが止まる>

    極め付きはカーマンがハイキックを決めた場面だろう。大げさに一回転して派手な受け身をとるネグロ。リングサイドの記者席で取材ノートに走らせていたペンの動きが止まり、目を覆いたくなった。筆者の目に狂いがなければ、この一戦は紛れもなく仕組まれたファイトだった。そうでなければ、意識がある中で一回転もするわけがない。

    その後、カーマンは再び異種格闘技戦をやることも、MMAに進出することもなく現役から退いた。オランダ目白ジムの後輩で現在同ジム代表のアンドレ・マナートが日本の修斗でエンセン井上と一度だけMMAをやったこと(96年)を考えると、それも時代の巡り合わせだったのかもしれない。

    それでも、MMAの黎明期といえる時期に、カーマンは一度だけ「準MMA」というべきリアルファイトを行なっている。92年1月25日、リングス千葉大会で行なわれた角田信朗戦だ。試合は1~3Rが掌底による顔面攻撃ありのリングスルール、4~5Rをグローブ着用による特別キックルールで行なうというミックスマッチ。いまはなき別冊宝島179『プロレス名勝負読本』(1993年刊)で筆者はこの一戦を取り上げている。

    〈必死にカーマンの蹴り足をとりに行く角田。すると、どうだ。次の瞬間、カーマンは冷静にも全体重を乗せた右ヒザを狙いすましたかのように、仰向けになった角田の顔面に落とした。さすがストリートファイトが日常茶飯事であるアムステルダムで生まれ育っただけのことはある。もしかしたら昔、実際のストリートファイトでこんな拷問技を使ったことがあるのかもしれない〉

    3ラウンド2分3秒、レフェリーストップでカーマンのTKO勝ち。のちに「あの顔面ヒザ落としは反則なのでは?」という議論も湧き起こったが、全てはあとの祭り。現場で周囲に何も言わせなかったカーマンの凄味に震えるしかなかった。

    角田戦は1~3Rがリングスルール、4~5Rがキックボクシングルールという試合形式で行なわれた
    角田戦は1~3Rがリングスルール、4~5Rがキックボクシングルールという試合形式で行なわれた

    現役引退後、アメリカに拠点を移したカーマンはUFCでセコンドに就いたり、のちに日本で大成する前の須藤元気にキックを教えたりしていた。もし5歳ほど若かったら、モーリス・スミスのようにMMAに転向していたのではないか。あの顔面ヒザ落としを思い出すたびにそう思う。

    (つづく)

    文/布施鋼治 写真/長尾 迪

    2024年3月31日に63歳の若さで亡くなったロブ・カーマン。帝王の凄味はリングスでの角田信朗戦でも発揮された


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    武尊、ダウンタウン浜田に感謝!異例の対応に驚きと感激


    武尊(たける、1991年7月29日 - )は、日本のキックボクサー、 YouTuber、実業家。鳥取県米子市出身。team VASILEUS所属。現ONE世界フライ級キックボクシング2位。 K-1  史上初 世界3階級制覇王者 。第4代K-1 WORLD GPスーパーフェザー級王者。初代K-1 WORLD…
    47キロバイト (5,274 語) - 2024年4月28日 (日) 17:10


    武尊さんと浜田さんのコンビネーションは最高ですね!素晴らしい対応に感謝します。

     「K-1 WORLD GP3階級制覇」、「10年間無敗」世界の格闘技界にその名を轟かせた武尊が、紆余曲折の半生を語った『ユメノチカラ』(徳間書店刊)。武尊は同書で「心折れそうなとき、道を逸れてしまいそうになったとき、自分を支えてくれたのは『夢』の力だった」、「幼いころに誓った『K-1のチャンピオンになる』『格闘技で成功する』その夢を持ち続けたから、今がある」、「格闘技には、人の心を動かし人生まで変えてしまうとてつもないパワーがあると僕は信じている」などと語る。リアルな心境がつづられた同書から、ダウンタウンの浜田雅功とのエピソードを、一部抜粋して紹介する。

    【全身カット】1年ぶりの復帰戦で豪快KO勝利した武尊 初海外リングでムーンサルト&フランス語も披露

    ■プロローグ 優しさ

     突然、テレビの制作スタッフから、思いがけないメッセージが届いた。「浜田さんが『武尊がいけるんやったらやろう』と言ってます」

     浜田さんとは、ダウンタウンの浜田雅功(まさとし)さんだ。あの一戦後、すっかり気持ちが沈んでしまっていた僕には、とても大きな意味を持つ提案だった。

     2022年6月19日、東京ドームで開催された「THE MATCH 2022」。実現まで7年を費やした「世紀の一戦」、那須川天心対武尊の結末を目撃するべく、ドームには5万6339人の大観衆が集まり、ABEMAのPPV(ペイパービュー)は約50万件を売り上げたと言われる。日本格闘技史上最も注目を集めたカードは、那須川が判定勝利。敗れて、控え室に戻っていく武尊には大勢の観客が駆け寄り、「ありがとう!」

     「いい試合だった!」「また試合見せてくれ!」と口々に激励の声を掛けた。武尊は涙をこらえきれずに号泣した。

     試合終了のゴングを聞いた時、「これで終わりだ……」と思った。

     長い時間をかけて、ようやく実現させた試合。あとは「勝利」という結果で、これまで応援してくれたファンと協力してくれた人たちに恩返しをする――そう決めて、僕はこの日に臨んでいた。

     けれども、結果は出せなかった。その悔しさと、これまでやってきたことのすべてを失った喪失感。忘れるはずもない強烈な出来事だったのに、今思い返しても、試合後の記憶は曖昧(あいまい)だ。

     ただ、控え室へ戻る時に、お客さんから「ありがとう!」という感謝の言葉や励ましの声がいっぱい聞こえてきたことは、うっすらと覚えている。この声は正直、意外だったし、心も動いた。

     負けた選手には誰も興味を持たない。負けたら誰にも気にされず、ひっそりと去っていく……。

     そんなイメージを持っていた。もしかすると、観てくれた人は「勝ち負け」だけを観ていたわけじゃないのかもしれない。そんな気持ちも少しだけ浮かんできたけれど、試合直後の喪失感を埋めるほどのものじゃなかった。

     翌日から「引退」か「現役続行」かを考え続けた。続行するにしても、何をモチベーションに戦っていけばいいのか。こんなボロボロの心と体で、これ以上、戦うことはできるのか……。

     気持ちが揺れ動く中で一つだけ、決めていたことがあった。

     「今後一切、メディアに出る活動をやめよう」

     詳しくはこのあとの章で言うけれど、この時の僕は体とメンタルに問題を抱えていて、しばらくは休養して治療をする必要があった。

     その時は、「負けた選手には、テレビに出る資格はない」と考えていたということもある。

     試合後の直近の予定では、ダウンタウンの浜田さんの番組『ごぶごぶ』(MBS系)のロケが控えていた。「勝って、ご褒美(ほうび)ロケをやりましょう」と浜田さんや番組スタッフの人と話していたのに、結果を出せずに終わってしまった。みんなの期待を裏切ってしまったことが申し訳なくて、僕はマネージャーを通して浜田さんと番組スタッフの人たちに、「しばらくテレビに出る活動はやめようと思っています。番組のロケに参加できなくてすみません」とお断りの連絡をした。

     すると、浜田さんはこう言ってくれたそうだ。

     「いや、武尊は今やめたらあかんよ。こういう時だからこそ、ちゃんと人前に出て行かないと」

     そして、オフで自宅に帰っていた浜田さんから番組スタッフを通して伝えられたのが、冒頭の言葉。

     「武尊がいけるんやったら、東京でロケをやろう」

     浜田さんはその日、オフだったのに、僕のために休みを返上して、東京でのロケを組んでくれた。これは異例中の異例らしい。

     以前から番組収録の合間に話しかけてくれたり、プライベートの集まりに呼んでくれたりして、とてもお世話になってきた浜田さんが「オフを返上する」とまで言ってもらったら、断るわけにいかない。

     「わかりました。ロケに行きます。お願いします」

     6月28日に都内で『ごぶごぶ』のロケが決まった。

     浜田さんから「武尊が自腹で俺に美味しいものをおごる、みたいにしたらおもろいんちゃう?」と提案してくれて、「武尊プロデュースで、浜田さんにぜひ食べてもらいたい美味しい店を回る」というロケになった。

     美味しい焼き肉や寿司を食べて、「美味しい!」と絶叫したり、僕のオリジナルカレーをその場でつくり、浜田さんに食べてもらったり。

     浜田さんは、僕が試合の話をしようとすると、「あー、ええから」と話を変えて、試合の話をさせなかった。普段以上にテンションの高い僕と、普段と変わらない浜田さんで、楽しいロケになった。

     「あれ、武尊は落ち込んでないんだな。前と変わらず元気なんだな」

     番組を見た人はそんな印象を持ってくれたようだけれど、実は浜田さんから事前にこう言われていた。

     「悔しいし、苦しいのもわかるけど、武尊が元気な姿を見せないと、ファンの人も悲しむしな。テレビの前だけでも元気な姿を出したらいいよ。無理にでも笑っていれば、自分も元気になるから」

     ロケの合間も浜田さんにテンションを上げていただいて、たくさん笑って、たくさんどつかれた(笑)。

     また、ロケで出会った人たちから「この前の試合見たよ」「また応援してるね」などの言葉をいっぱいもらえたのもよかった。

     実は、このロケの後、休養を兼ねて海外に行くことが決まっていて、僕は「当分は表舞台から消えよう。人前に出たくないし、人にも会いたくない」と思っていた。

     そんな気持ちを、浜田さんはお見通しだった。

     オフを返上してまで番組ロケという「表に出る場所」を用意してもらって、僕は「ああ、またこうやって表に出ても大丈夫なんだ」と感じた。何か謹慎明けで、浜田さんにどつかれて「禊(みそぎ)」を済ませたみたいに。

     ロケが終わり、別れ際に浜田さんと話をした。「もう芸能活動はやめようと思ってました」

     そう言うと、浜田さんは首を振った。「やめたらあかんよ。求められてるうちは出とかな」

     そうして、こんなアドバイスをもらった。

     「ちゃんと人前に出たほうがいいよ。人前に出なくなると、気持ちもどんどん落ちていくから。人前に出たら、無理してでも笑うし、そうするとどんどん自分も元気になるから」

     浜田さんの優しさで、僕は悔しくてつらくて手痛い敗北から立ち直ることができた。

     今度は僕が、悩んだり、苦しんだり、つらい思いをしている誰かを、励ましたり、元気づけたりすることができたら、と思う。そんな気持ちをこの本に込めたい。
    2024年1月  武尊

    自著『ユメノチカラ』を発売した武尊


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    百田汐里が最年少のKrushガールズに加入!新たな活動に期待高まる


    「百田汐里ちゃん、おめでとう!最年少ということで頑張る姿が楽しみですね」

    立ち技格闘技イベント「Krush」に華を添えるKrushガールズ2024のメンバー6人が決定。4月23日に都内で「Krushガールズ2024お披露目発表」が行われ、選ばれた杉本愛莉鈴、瀬戸なみ、冨樫秋穂、百田汐里、荻野心、成沢紫音の6人が意気込みなどを語った。

    【写真】破壊力抜群…!美脚全開でキックを披露するKrushガールズの6人

    ■「Krush」とは

    KrushはKO至上主義のファイターたちが闘い、男子10階級・女子3階級でチャンピオンを決める超破壊型打撃格闘技イベント。2023年に続いて2024年も選ばれた成沢が「もともとKrushが大好きなので継続できてうれしいです。もっと盛り上げられるように頑張ります」と意気込むと、荻野も「ラウンドガールは初めてなのでドキドキですが、ハッピー全開で頑張ります」と誓った。

    また、現役高校生タレントで最年少メンバーの百田は「最年少なんですがフレッシュで元気に、私と同じ世代の方たちにも広めていけるように頑張ります」とあいさつした。

    ラウンドガールをずっとやってみたかったという瀬戸は、格闘技経験について「小1から中3まで空手をやっていて黒帯なので、今でも回し蹴りができます」とアピールすると、萩野も「キックボクシングのパーソナルトレーナーをしているので、キックボクシングが得意です」と発言。百田も「クラシックバレエの他に、エクササイズ目的でキックボクシングをしています」と明かした。

    一方、杉本は「4歳から歌とダンスを習っていたので、歌をもっと発信できたらいいなと思います。それと手がきれいで指が細くて長いのが自慢なんですけど、こないだ手だけのモデルに応募したら落ちました」とオチを付けながら、自身の魅力をアピールした。

    ■“優しいキャプテン”冨樫「元気よく明るくやってもらいたい」

    キャプテンに就任した冨樫は、2023年に引き続きラウンドガールを継続できることを喜びつつ、これから始まる活動について1年目のメンバーに「物販とかにファンの方がくるので、元気よく明るくやってもらいたい」と先輩として頼もしいアドバイスを送った。しかし、厳しい指導をするのか聞かれると「いいえまったく、優しいキャプテンですので」とオロオロしながら答える様子に、他のメンバーが笑う一幕も。

    また、ファンに向けて成沢は「私たちと一緒に応援よろしくお願いします」、荻野は「ドキドキですが全力で頑張ります」とコメント。瀬戸も「緊張しやすいんですけど、元気いっぱい明るくやっていきます」と力強く語り、杉本は「試合の日がとても楽しみなので、皆さんと一緒に楽しめたらなと思います。温かい目で見守ってくださるとうれしいです」とメッセージを送った。

    そして百田が「ラウンドガールになれてすごくうれしいです。最年少ということで明るく元気に頑張ります。Krushを皆さんも一緒に盛り上げていきましょう」と士気を高め、最後にキャプテン・冨樫が「今年度はキャプテンとして後楽園の会場を満席にして試合を盛り上げられるように頑張りますので、一緒に応援しに来てください」とファンに向けて呼び掛けた。


    現役高校生タレントの百田汐里/※ザテレビジョン撮影


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    格闘代理戦争-THE MAX-に参加する選手たちが特別稽古で磨きをかける


    マッコイ斎藤(マッコイさいとう、1970年2月9日 - )は、日本のテレビディレクター、演出家、テレビプロデューサー、スカパーJSATグループ番組審議会委員、YouTuber。番組制作プロダクション「株式会社 笑軍」の代表取締役、タレント。名付け親は山本圭壱。場合によってはマッコイ斉藤と表記されることがある。本名:斎藤…
    13キロバイト (1,609 語) - 2024年4月5日 (金) 06:54


    素晴らしい特訓を受けられたんですね!レジェンドの方々から闘魂をもらえたなんて、羨ましい限りです。

    次世代の格闘技界を担うスターを発掘する、ABEMAオリジナル格闘ドキュメンタリー番組「格闘代理戦争-THE MAX-」#6が、ABEMAにて4月12日に放送された。

    【写真】皇治選手と代理戦争での直接対決を快諾する芦澤竜誠選手

    「格闘代理戦争」シリーズとは、「格闘技界の次世代のスターを生み出す」という目的のもと、第一線で活躍する格闘家が監督となり、格闘家の原石である若手ファイターを推薦して競わせることで新たなスターを発掘、その過程を追う“格闘ドキュメンタリー番組”で、2017年の「格闘代理戦争 1st Season」の放送以降、シリーズごとに立ち技格闘技や総合格闘技などのテーマを設け、これまで5シリーズにわたり放送してきた番組の、シリーズ6作目となる「格闘代理戦争-THE MAX-」では、総合格闘技をテーマに8枠のトーナメント形式で行われ、優勝の栄光と賞金300万円を懸けて、若手ファイターたちがしのぎを削る。

    ■4月12日の放送では

    4月12日の第6回放送では、本番組で総合演出を務めるマッコイ斉藤が、4月5日放送で監督参戦が決まった皇治選手の対戦相手として、監督参戦のオファーをしに芦澤竜誠選手の待つジムに突撃訪問した。

    マッコイと対面するや否や、芦澤選手は「見たぞ格闘代理戦争! 俺と皇治をやらせようとしてんじゃねーぞ」と一喝し、皇治選手についてさんざんば倒した末に、芦澤選手は「やってやるよって話だよ」とあっさり皇治選手との代理戦争での直接対決を快諾する。また、「あいつ、ビビって出てこれねーんじゃねーか!? やれんのか」と自信満々な口ぶりでマッコイに言葉をぶつけた。

    皇治選手は、2〜3人は選手を用意していることを伝えると、「2~3人くらいなら、俺も何とかできるわ!」と推薦選手の目星はついているようだ。

    ■中谷優我選手は

    幼い頃からアントニオ猪木さんと交流のあった中谷優我選手は、今回、その闘魂を学ぼうと猪木さんとゆかりのあるプロレスラーの藤田和之選手、ケンドー・カシン選手のもとを、青木真也選手とともに訪れた。藤田選手は「猪木イズム最後の闘魂継承者」としてプロレスや総合格闘技で活躍している、言わずと知れた一流レスラー、また、ケンドー・カシン選手は青木選手が尊敬する覆面カリスマレスラーという、レジェンドレスラーふたりに中谷選手の特別稽古を青木選手が依頼した。初対面の中谷選手に対して、藤田選手は「ひと言だけ。プロもアマチュアも突き進むには、精神力が大事だから。そういう目つきに変わってほしい。目標があるなら自分信じて、てらいをしないで、バカになれよ」といきなりきびしくも愛のこもった言葉を放つ。

    その言葉から始まった特別稽古は、200段もある階段ダッシュから始まり、まき割り、波打ち際でのダッシュなど地獄のメニューの連続で、きびしい言葉を浴びせられながらも、これに必死に喰らいつき中谷選手は、みごとにすべてのメニューをやりとげる。最後の波打ち際のダッシュを終えると、突然、藤田選手がTシャツを脱ぎ、中谷選手のひざ下まで海水に浸かる浅瀬でタックル、ボディスラムで水面に打ちつけるなど、とことん中谷選手を追いこむ。

    最後に藤田選手は、「俺を張ってみろ!」と中谷選手にビンタを要求するも、おそるおそる張り手をする中谷選手に対して、「そんなんで効くか! こうやってやるんだよ!」と気合いのこもったビンタをお見舞いする。よろける中谷選手に、さらに「くやしいか! 声出せ! 思いっきりこい!! お前のそういうやさしさが弱点なんだよ!! 張れ、オラァ!」と喝を入れると、これに呼応するように、中谷選手が気持ちのこもったビンタを放つ。すると藤田選手は「よくやった」と中谷選手を抱きしめ、「それでいい。負けんなよ。バカになるんだよ」と愛にあふれた言葉を投げかけ、地獄の特訓は幕を閉じた。

    これを見た青木選手は、「完璧ですよ。申し分ない」と言い、中谷選手は「猪木イズム……闘魂……試合前にいちばんいい喝を入れてもらえたと思います」と自信に満ちあふれた表情で稽古を終えた。


    #6が放送されたABEMAオリジナル格闘ドキュメンタリー番組「格闘代理戦争-THE MAX-」/(C)AbemaTV,Inc.


    (出典 news.nicovideo.jp)

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